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Text of Ma Su
馬謖幼常に
14 October 2002

text of the picture
masu

馬謖について

 この絵のモデル、馬謖は中国の三国時代(二世紀後半)に生まれました。彼は五人兄弟の五男だったんですが、この兄弟、揃いも揃って皆優秀という秀才一家で、彼もまた将来を嘱望されていました。
 諸葛亮孔明といえばより多くの人に知られた名でしょうか。彼は蜀という国の軍師(国主の次くらいに偉い)で、その天才的軍略を持って何倍何十倍する兵を打ち負かし、小国だった蜀を最終的には三大勢力の一つに名を並ぶまでにした傑物でした。そして、彼が後継者の一人に選んだのが馬謖その人だったのです。
 孔明は常に馬謖を傍らに置き、よく指導したようです。また馬謖もそれに応えようと献策案を出して、それが大きな戦果を収めたこともありました。

 孔明にはどうしても為さねばならないことがありました。それは中国の統一です。孔明はとても義に篤い人でした。自分を三顧の礼で迎えてくれた今は亡き劉備の夢、中国統一をどうしても実現しなければなりませんでした。

 そして、その時が来ます。<某番組の影響受けすぎ(爆)

 蜀は敵国との第一戦に勝利し、戦後処理もままならぬうちに次の戦いへ早くも準備を進めていました。そこで馬謖は街亭という重要拠点の防衛を任されます。それも軍の責任者として。
 次戦はにわかに蜀にとっては防戦の様相を呈してきました。敵が領地回復に大軍を送り込んできたのです。その大軍に対峙するには、地形が防御に適する街亭に陣取るしかない、孔明はそう考えました。そして、自分の忠実な部下である馬謖を司令官に任命、守備に徹するよう命令しました。
 馬謖はそれまで自ら兵を率いて出陣することは殆どありませんでした。孔明がそんな馬謖を抜擢した理由は、恐らくこれまで戦功のない馬謖に大功を立てさせようという目論見があったのだと思います。また命令を守りさえすれば容易に防御できたに違いありません。蜀は一時期の隆盛期を過ぎ、人材不足と慢性的な兵力、兵糧、輸送力不足に悩んでいました。そんな中でこの防御戦、馬謖は適任だったはずです。馬謖は戦功は少なかったものの聡明で孔明に従順でした。彼を用いることで、数少ない歴戦の勇将を他の難関に配置することが可能だったからです。

 しかしこの配置が馬謖の人生を大きく変えることになりました。
 馬謖は現地に着くと、指示された布陣を引かず、自らの判断で小高い山の上に陣取ってしまったのです。戦うには高いところが有利なのは間違いありませんが、水や食糧の補給が難しく、長期戦には不向きです。専守防衛を指示された馬謖にとってこれは致命的なミスでした。
 しかも運の悪いことに敵将にその布陣を察知されてしまい、その山を包囲されてしまいます。結局軍は壊滅、馬謖は敗走、街亭は敵の手に落ちました。
 更に街亭を落とされたことによって蜀軍全体が崩壊の危機に陥り、体勢を立て直すために多くの領地と兵を犠牲にしなければなりませんでした。馬謖はこの敗戦の責任を取り斬罪に処されました。結果からいえば、この敗戦によって蜀は統一の道を閉ざされ、孔明死後、滅亡を迎えることとなりました。

とおなの思うところ

 ここからは私の個人的な見解です(もちろん上の文も私的見解が多分に含まれてますが)。

 馬謖にとって、この街亭の戦いは一世一代の大勝負だったんだと思います。
 彼には越えねばならない壁が二つありました。兄馬良と師孔明です。兄はこの時既に他界していましたが、その存在は皮肉にも彼の死をもって大きくなりました。その穴を埋めて余りある人材になることが馬謖には求められていました。そして孔明。蜀にはかつて、馬良のような孔明の補佐にするにはもったいない、他国であれば軍師を務めて当然という人材がたくさんいました。しかし皆若くして亡くなり、現状では孔明一人が軍事内政外交全てを取り仕切っていました。「自分を育ててくれた孔明に早く恩返しがしたい」、馬謖はそう思っていたでしょう。そして一番の恩返しは、やはり一人前になって今は亡き馬良のように孔明の補佐、そして行く行くは蜀を支えられる人材になることだということも知っていたはずです。
 毎日のように孔明を感謝と憧れの目で見てきた馬謖にとって、孔明は誰よりも偉大に感じられたはずです。「どうしたら越えられるか」、それがいつしか彼の人生の命題になっていったとすれば...

 街亭の地に立って思ったはずです。「孔明先生に追いつく絶好機だ」と。誰もが予想もしない布陣・計略で勝つことで、馬謖の名を、存在をアピールし、「次の蜀を支える人材」として認めてもらう。馬謖は勉強家で、孔明と議論できるほどたくさんの兵法を知っていました。そして過去の孔明の戦績が全て頭にありました。「偉大な先生を越えるにはどうしたらいいのか」。彼は山の上に布陣することを決意しました。(余計なお世話テキスト)

 彼はがんばりました。山を包囲され、連日のように攻められ、水も食料も尽き、脱走兵が出るまで追いつめられてもなお、降伏せずよく戦いました。しかし勝負は非情なものです。援軍も奇跡もなく、軍は壊滅しました。馬謖は孔明の元に敗軍の将として帰ります。そして来るべき運命の日を待ちました。

 馬謖に弁解する気は全くありませんでした。自分を待つ処罰が死だということはわかっていましたが、彼は全てを受け入れる準備ができていました。「ただ人間として孔明先生に立ち向かい、全力を尽くした。その結果は大敗だったけど、やれることはやった。悔いはない」。馬謖は孔明の口から死を賜ると、家族と後進のことだけを孔明にお願いし、処刑場に赴きました。孔明は涙を流して悲しみました。

この絵について

 私が描きたかったのは、悔いのない笑顔でした。

 馬謖が嫌いな人は(特に孔明ファンに)多いようですが、私は彼が好きです。尊敬する人への恩義に応えたいという気持ち、そしてそれを裏切る結果になってしまったときの申し訳ない気持ち、察するに切なくなってしまいます。彼の人生はきっと努力の日々だったと思うのですが(なまじ兄や周りの人が偉大だったため、生半可な努力では決して認められなかったことでしょう)、最後が報われない形だったことがとても悲しいです。せめて、全力を尽くしたことで彼自身人生に悔いが残っていなければいいな、そんな願いを込めて描きました。
 良かっただろうと思うことは、親兄弟よりも近く、誰よりも尊敬していた孔明に死を賜ったこと。あんまり関係ないんですが、私がもし生命維持装置によってのみ生きる状態になったら、その時点でその装置を外してもらいたいんですが、できたら私が愛する人に外してもらいたいって思うんです。それなら全然恨みも後悔もしないですから。馬謖が同じ考えだったなら、せめてもの救いになったんじゃないかと思うわけです。そしてもう一つ良かっただろうと思うのは、その孔明に涙を流してもらったこと。それだけでも報われたのではないかと、祈るのみですが。孔明が涙を流したのは戦場を除いては劉備、五虎将軍くらいなものです(周瑜はまぁ?として)。稀代の名軍師に泣いてもらったことで歴史に名を残せました。大変なことじゃないですか。

 死に装束をまとい、孔明に見せた最後の笑みを、想像して描きました。史実には全くないので笑うことはなかったかもしれませんが、もし笑ったなら、孔明も笑みで返してくれていると嬉しいな、なんて。

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。もう後悔はありません。m(__)m


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